留年はしないように、という
メッセージを1年生に向けたガイダンスで学部長が言っていて、
それ以来なんどもそういうことを教員が言ってきて、
それに違和感を持っていた。
留年をせず、国家試験に受かるだけでよいのか。
それ以上のことは期待していない、というメッセージになってしまっていないか。
伝えるべきなのは、なによりも、
よい医師になってもらうために大学が学生に期待する振舞いなのではないかと思っていた。
意欲のない医学生に高尚なことを言っても仕方がない。
そういう考えもある、というかむしろそれが大方のものの見方だと思う。
でも、味気ないよね。
......って思ってたんだけど、
いま、あまり成績のよくない学生に対して、つい、留年しないようにねってばかり言っている自分に気づく。よくない。
学ぶ先に何があるのか示せないのがよくないのか。あるいは彼の勉強のハードルを上手く下げれてないのか。
後者かなー......でもどうしたらいいんだろうな......
偏差値と人間
地方医大にうっかり再受験で入ってしまって、偏差値60ちょいというところで、簡単じゃんって思って入学してしまった。
この記事の主題はそういう自分のことではなくて、一年たってようやく気づいたこと。
どうもこの学部は旧帝大の理工と偏差値がかわらない。周りはおっとりした子ばかりで過ごしやすいな、と不遜にも思っていたのだけど、普通に賢い学生なんですね。受験生の上位15%。
彼らのことは好きです。
ただ、なんというか。
賢しらに振る舞わないのは彼らの美徳ではあると思う。でも、やっぱり、賢い人間になろうという欲求をこの一年彼らから感じていない。期末テストでいい点を取ろうとか、GPAを維持しようとかは人によっては思うようだけど、自発的になんか学んで教養を深めるとか賢くなろうという気持ちがある学生に出会えていない。
たとえば医学部という、就職予備校と言われてしまうような場所で「上手くやっていく」のが目標になっても、あるいはいい医師になることが目標になっても、それは「賢くなる」モチベーションにはならないのかもしれない。優等生だなって子は、テスト勉強は頑張るしレポートはテキパキ書くのをみるけど、どうもそれ以上の大学での学びを欲してるようには見えない、気がする。*1
上位大学の学生は、やっぱり賢さをなんだかんだ大事にしている人が多かった。賢く見えないことは嫌がっていた。程度の差はあれ。その違いは、6年の蓄積で少なくない差を生んでしまうような気がする。
でも自分は彼らをやっぱり過小評価していて、色々上級生に会ったら印象が変わるのかもしれない。(まあ、自分が会った上級生数人は・・・って感じだったけど)
コロナ禍で、学生ができることが制限されてしまい、その結果学生がとても受動的になってしまった、と多大の教員がぼやいていた。j
*1:忙しいとか、どうしたらいいのかわからない、とかもあるんだと思うけど。